七彩マネキン物語

第5話...ダルナとの7問7答

七彩が招聘したパリのマネキン作家ジャン・ピェール・ダルナが最後のマネキンを発表したのは1986年。それから5年後の1991年、パリのダルナに7つの質問をしました。

ダルナから届いた答を初公開します。

1.「1947年に最初のマネキンを制作されたとお聞きしておりますが、その時の動機についてお聞かせ下さい。」

ダルナ:「当時、私は若く野心に溢れてもいたし、それに戦争が終わったということで、あらゆるものが、新しい方向に変わる時期でもありました。当然私も、そのダイナミックな芸術運動に加わりました。あらゆる分野(たとえば写真、モード、絵画、詩)が、沸き立つような激動の中にありました。私達が師と崇めていたのは、アヴェドン、ペン、ピカソ、ディオール、カルチェ・ブレッソン、コクトー、レジェ等です。私と私の仲間にとって大きなチャンスとなったのは、“ギャラリー・ラファイエット”のショーウインドーで私達自身を表現する機会に恵まれたことでした。そしてそれを通じて私達は塑像術に関するあらゆる問題と取り組むことが出来ました。そこで私は、当時の新しい波に相応しい、新しいマネキンを作ってみたいと言う思いに取り付かれたのです。それまでのマネキン人形は、本物の生きたマヌカン(ファッションモデル)のイメージと比べると、単なる“洋服掛け”に過ぎませんでしたからね。私は早速、原型を作って“ギャラリー・ラファイエット”に見せました。ところが彼らは、そのあまりにも斬新な外観に恐れをなして、私の作品は拒否されてしまいました。ところが“オゥプランタン”は私の作品に興味を示し、私にコレクションを作成するよう、要請してきました。パリのある製造会社がそれを作り、私のコレクションはかなりの評判になりました。そのあと、ロンドンのハロッズ、ベルリン、ミュッヘン、ミラノ、マドリッド、バーゼル、アントワープ等と次々と注文が来るようになりました。新しいスタイルがやっと定着したのです。但しアメリカは私のマネキンの顔が気に入らないようでした。あまりにもパリ的だと言うことらしいのです。」

2.「七彩のためにマネキンを制作するようになったきっかけをお話下さい。」

ダルナ:「偶然にも、私はある日、パリのある製造会社で、日本の製造会社の名刺を見つけました。丁度、フランスのエクスポジションのために日本へ発とうとしていた、友人の室内装飾家に、私はこの会社と、ひとつ連絡をとってくれないかと頼みました。そして彼女が日本で最初に面会した人物向井良吉氏だったのです。彼はそのあと、私に日本に来るようにすすめてくれました。そしてそれが私達の、賞賛と、忠誠と、革新と、互いの尊敬に溢れた、長い親交と協力の始まりだったのです。私にこのように多くを与えてくれたのは、日本だけです。有難う。」

3.「最初に見た七彩マネキンの印象についてお話下さい。」

ダルナ:「日本をはじめて訪れ、七彩のマネキンを最初に見た時、私を驚かせたのは、女性のイメージの慎ましさ、保守性が、その当時のヨーロッパのそれと驚くほど、似ていたことでしたその質の高さ、プロ意識は賞賛に値するものでした。熟練さ、申し分のない鑑識眼、文化の結晶は魅惑的であると同時に、雄大と言えましょう。」

4.「そこで七彩のためにどのようなマネキンイメージを最初に表現なさろうとしたかお聞かせ下さい。」

ダルナ:「私は、日本人が好んでいた従来のものとは、全然別のものを作ろうとしていた事を、向井氏は充分招致してくれていた、と思います。従って私は作りたいものを作ることが出来ました。」

5.「その後ダルナさんがマネキンを制作される中で一貫して追求されてきたテーマについてお話下さい。」

ダルナ:「テーマと言うほどのものは別にないのですが、ただ私の唯一の動機づけとなるものは、現在の、そしてまたあの当時の私の彫刻においても言えることですが、女性、そして若い女性と言うものに対する、私の深い愛情です。私にとって男のマネキンを考えることは不可能です。それは私の興味を引きません。女らしさ、その美しさ、その優雅さ、その人を喜ばせる術、そのただならぬ片鱗、は芸術家にとって、尽きることのない、興味の源泉と言えます。女性は宝石であり、絵であり、彫刻であり、小説であり、と同時に花でもあるのです。私は女性を敬愛しています。」

6.「今後のマネキンの可能性についてお考えになっていることがあればお聞かせ下さい。」

ダルナ:「マネキンと言うものはいつも必要とされると思います。女性はいつも自分自身とそのイメージにしか興味がありませんからね。彼女は彼女が目にするマネキンに自分自身を同化させます。ウインドーの中のマネキンは、言わば大衆的な、しかし生きた、アートになるわけです。マネキンは、肉体やその振る舞いのように、一新されなければなりません。そしてまたそれは、言わば人生における、社会的ショックや美学の復活の仮想の反映と言えます。」

7.最後に若いマネキン作家にダルナさんからメッセージをお願いします。

ダルナ:「若いマネキン作家に私が手渡すメッセージは、これは完全なアート、しかもとても心理的なものであり、創造する喜びは、この仕事、そして塑像への愛情によって得られるのだと言うことです。しかし、あなた方、日本人が私に教えてくれたことを、今さら私が言って何になりましょう。(つづく)

  • 七彩東京アトリエで原型制作中のダルナ

    七彩東京アトリエで原型制作中のダルナ(1958年)

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