七彩マネキン物語

第9話...スーパーリアルマネキン「PAL」誕生

人間が生きたまま、眼を開いたまま型取り出来る技法(Flesh Cast Reproduction 略称F.C.R.)を七彩の技術陣が開発し、その製法を応用した人体モデルを最初に発表したのは1971年である。人間の皮膚感が刻銘に再現され、まるでそこに実際の人間が存在しているかのようなリアリティを感じさせる、衝撃的な人体像の登場であった。

この年の10月、西武百貨店渋谷店で「視覚の錯覚展」が開催され、ここに、七彩の東京アトリエのメンバー自らがFCR技法によって型取られた「自分自身の人体モデル」を作品として発表、センセーショナルな反響を呼び起こしたのです。この展覧会が何を意図して開かれたか、展覧会の案内文を引用してみましょう。

「この展覧会は、ふだんみなさんがご覧になっている展覧会のそれではありません。一種風変わりな展覧会です。作品が作品として置かれず、作者自身をオブジェとして凝結化石化しました。それはふだん人形を創る職場にいる私どもの異様な体験、例えば、そこに人間がいるのだけれど、生きた人のいないことの不気味さ、この異様感が高まると、私どもは一種アセリに似た感情に駆られます。この展覧会は、私たちのそうした日常の素朴な実感をひとつの空間に設定してみました。この展覧会をご覧になれば、きっと、私たちが経験していることと同じようなことをお考えになるに違いありません。そこには、現代のドラマを演じている主体性を失った人間のように、存在が客体となってしまった“今日の人間像”をご覧になれるでしょう。

1974年に東京都と京都で開催された「日本国際美術展」に七彩グループ「1971年3月29日」と題した作品を出品。タイトルの日を期して、その身体を「凍結」、時間を停止してしまったという設定。観客が、10人の、今にも動き出しそうで動かない人体像と、空間を共有した時、静止状態である自分が、像と同化していることに気付かされる。その瞬間に、例えようのない恐怖感が襲ってくるのです。この時出品された作品の一部は現在東京都現代美術館所蔵となっています。

こうして生態型取技法(F.C.R.)による人体モデル製作は、アートの世界で注目を集めた後、1974年本格的なマネキンとして商品化され「PAL」という愛称がつけられました。1974年発表「PAL」のモデルは、すべて普通の人間でした。当時原宿はファッションの街としてすでに注目の的であり、原宿に集まるファッショナブルな人間に「マネキンになって頂けませんか」とスカウトし、集めたモデルが中心でした。“普通の人間が生きたまま型取られマネキンとなる”と言う大胆奇抜な発想は、たちまち話題となり、もはやマネキンの時代ではないと決め付けていた人々の度肝を抜く反響を呼び起こしました。

このスーパーリアルマネキン「PAL」は1976年以降はプロのモデルをマネキン化。戦後世代のライフスタイルに対応した新しいマーチャンダイジングによる売場の大改革を進めていた西武百貨店に採用され、食品売り場や家具家庭用品売り場など、これまでマネキンに縁のなかった売り場に登場するようになりました。まるでそこに人間が存在するかのようなリアリティが生まれ、生活提案型の売り場に、一種独特の臨場感をもたらせました。(つづく)

  • PAL-6

    PAL-6(1974年)

  • プロのモデルがマネキンになった1976年発表のPAL

    プロのモデルがマネキンになった1976年発表のPAL

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