七彩マネキン物語

第24話...「マネキンの歴史展」開催とその後

七彩は、1993年2月1日から6日まで、東京青山スパイラルガーデンで「マネキンの歴史展」を開催しました。

会場には、写真家ベルナール・フォコンが収集し1990年に七彩がコレクションした、1920年代にフランスで作られた蝋製子供マネキン。マネキンのパイオニア企業、島津マネキンが1925年に気鋭の彫刻家萩島安二に制作を依頼した石膏製の子供マネキン。1950年代、急激な洋装化の波に乗って広がった、日本的エレガンス漂う「ファイバー製マネキン」。七彩が招聘した戦後フランスを代表するマネキン作家、ジャン・ピェール・ダルナによる一連のFRP製マネキン。イージーオーダー売場に林立した、セクシーでキュートなウエスト50cmの1960年代製ファニーフェイスマネキン。ミニの女王、ツイギーの身体をイメージし、骨格までリアルに造形化したヤングマネキン。1970年代半ばに生きた人間から型取りして作ったスーパーリアルマネキン。戦後世代のライフスタイルを演出するためのアクティブなポーズのリアルマネキン。社会に進出し、主体性を持って生きる女性のイメージを表したキャリアウーマンタイプのリアルマネキン。そして1980年代に入り積極的な取り組みが始まった、イッセイ・ミヤケ、コム・デ・ギャルソン、ヨーガン・レール、ケンゾー等ファッションデザイナーとのコラボレーションによるオーダーメードマネキンの数々を展覧、その数は85体に及びました。

これほどの規模で、マネキンの歴史が一般に公開されたことはかつてなく、マスコミの注目度は抜群でした。中でもテレビは、地方局を含めて9社から取材がありました。「たった今、この展覧会のことがラジオで放送されていて知って来た」と駆けつけてくれたスパイラルの近くに住む人等、来場者数は6日間で6千人を超え、時代の証言者としてのマネキンへの関心の高さを痛感しました。

この展覧会のマネキンは、一切服を身につけない裸で展示しました。中には、五体満足に揃っていないものも含まれていましたが、それはそれとしてご覧頂きました。マネキンは、過去から現代へ、時系列に並べるとともに、文章による解説は避け、見ていただくことに主眼をおいた展示としました。空間には、フォークリフトで荷物を運ぶ際使用する、木製のパレットを680枚レンタルで調達、床一面に敷き詰めました。これは、木の温かみを空間にもたらすとともに、終了後一切の廃材を残さないことがねらいでした。

こうして「マネキンの歴史展」は大きな成功を収めました。時の経つのは早いもので、あれから9年の歳月が流れました。この間、これだけの規模の展示はなされていませんが、1997年の「からだ×服」をテーマにした東京ファッションウイークのイベントやノスタルジックなファッションや戦後史をテーマとした銀座松屋、京都高島屋、鹿児島山形屋の百貨店のディスプレイ。宇都宮美術館が1999年に開催した「日本のライフスタイル50年」展にも歴史的資料マネキンが登場しました。さらには2000年、NHKのBS放送のハイビジョンギャラリー「この素晴らしきものたち」マネキン編には、数多くの資料マネキンが出演するなどテレビ番組への登場は、多数に上っています。また、マネキンに関する資料収集や研究も進み、各種学会での講演や学会誌への執筆、大学や専門学校での講義活動へと広がってきました。こうした流れは、「マネキンの歴史展」をきっかけとして勢いを増したことは、紛れもない事実です。(つづく)

  • 「マネキンの歴史展」
  • 「マネキンの歴史展」石膏製少女マネキン

    今も七彩が保存する1925年:荻島安二作の石膏製少女マネキン

  • 「マネキンの歴史展」

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