第3話:七彩マネキン史に残る名作=「救いの女神」現る。
1950年初頭のマネキンは、1920年代後半にわが国のマネキンの
パイオニア企業、島津マネキンが開発した楮製紙(ちょせいし)を 主素材にしたファイバー製(注:参照)であつた。
洋装化が広がり、マネキンの需要が急速な高まりを見せる中で、
楮製紙に変わる新しい素材のマネキンの登場が待たれていた。研究を積み重ねた結果1952年(昭和27年)「ビニクロンゲル」という 樹脂をマネキンに応用することに成功。
1953年(昭和28年)秋の新作展に新素材マネキンは華々しく 発表され、圧倒的な賞賛の声が寄せられた。当然ことながら注文が相次ぎ、幸先のよいスタートをきったのだが、
思いがけない事態が待ち受けていた。それは発表の翌年の梅雨期に現れた予想もつかない化学反応に よって、マネキンとしての商品価値を失う結果となったのである。やむなく元の素材に戻すことになったが、チャレンジャーであるが故に
味わった、あまりにも厳しい試練であった。
しかしそれから3年後、この厳しい試練に果敢に立ち向かった
七彩技術陣は世界に先駆けてFRP(ポリエステルガラス繊維強化 プラスティック)のマネキンへの応用に成功したのであった。
素材が元のファイバー製に戻された1955年(昭和30年)。厳しい状況下に救いの手を差しのべるかのうに「女神」が誕生した
のであった。島津マネキン時代からマネキンを作りつづけてきた村井次郎の手に
よる婦人マネキンFW-117は、発表年の生産高が1650体という 驚異的なヒットとなり、まさに「救いの女神」となったのである。七彩史はもとより、わが国のマネキン史に残る名作といって過言でない
FW-117は「歴史的資料マネン」として七彩に大切に保存されている。今はウインドーのライトを浴びることも、斬新なファッションを身の まとうこともなくなったが、時折テレビや雑誌の取材の際見せる、
妖艶とも思える美しさは、時代を超えたマネキン美の真髄に迫るもの がある。
(続く)