七彩マネキン物語

第8話...やや人間に近づいたツイギーマネキン

1967年、ミニスカートのキャンペーンのために来日したツイギーという名のファッションモデルは「小枝のような体」という例えがぴったりの身体イメージでした。因みにツイギーのボディサイズは身長167cm、バスト75.5cm、ウエスト55cm、ヒップ84.5cm。参考のために1953年にミスユニバース世界代3位の栄誉に輝いた伊東絹子のボディサイズは身長164cm、バスト86.0cm、ウエスト65cm、ヒップ92cmでした。単純に比較は出来ないにせよ、理想とされた身体寸法の差異はかなりのものです。

ミニスカートの登場は、この時が初めてではありませんが、ツイギーの人気は大変なもので、たちまち全国にツイギー旋風、ミニブームが巻き起こったのです。時代を映し出す鏡であるマネキンは、この影響を受けないはずがありません。市場の要望を受け止めて、七彩もツイギータイプのマネキン(PWS)の制作に取りかかりました。すでにお話したように、1960年代の婦人マネキンは、ウエスト50cmが特徴でした。したがって身体イメージは、女性らしく且つセクシーでした。作家は比較的自由なイメージをマネキンに投影し、どちらかと言えば人形ぽさを感じさせました。ところがPWSには、やや人間に近いリアリティが表現されました。例えば膝小僧です。見難い部分とされてきた膝小僧を露出させることによって、ミニは女性の自立を象徴化したと考えれば、膝小僧が表現されたのはある意味で当然と言えましょう。更には腰骨、肩甲骨と言う具合に身体イメージは人間に近づきました。60年代マネキンの象徴とも言うべきウエストは54cmとやや太く(それでもかなりの細さですが)なりました。このツイギーマネキン(PWS)は、1970代初頭のヒットマネキンとして大活躍しました。

一方で、工業用立体裁断ボディの産業界への普及が進み、サイズ展開された既製服の大量販売時代へと移行しました。9号サイズの服を着こなすマネキンが求められ始めたのもこの頃からでした。あれだけイージーオーダー時代に林立していたマネキンでしたが、あっという間に退けられ、ハンガーラックが百貨店の売場を占有するようになったのです。中には売場からマネキンを一掃した百貨店が登場したのです。それはマネキン冬の時代の到来でしたが、その一方で時代はマネキンに革新を求めていたのでした。(つづく)

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