七彩マネキン物語

第4話... パリのエスプリ、ダルナマネキン華々しくデビュー

七彩のみならずわが国のマネキン史に燦然と輝く存在は、1950年代の終わり、七彩がパリから招聘したマネキン作家ジャン・ピェール・ダルナとそのマネキンであろう。マネキンのFRP化はこのダルナマネキンの華々しいデビューによってその幕が切って落とされた。1959年、今から40数年前の出来事である。

新作展には、第3作までの3ポーズが発表された。ひとつのステージには桑沢洋子先生デザインの服を、もうひとつのステージには笹原紀代先生のピンワークに彩られたダルナマネキンがその優美な姿を現した。その美しさに来場者から圧倒的な賞賛の声が寄せられたことはいうまでもない。

以来ダルナと七彩の関係は1986年まで続いた。その間日本のファッション空間を彩ったダルナマネキンは87ポーズに及び、多くの熱烈なダルナマネキンファンを産み出した。

ダルナが創り出したマネキンの美しさは、「人間美を超えたマネキン美」と表現するにふさわしい。ダルナは現実に生きる女性をモデルとせず、すべて内なるイメージを偶像化し、女性美の極致をマネキンに表した。西洋そのものの価値観や美意識のお仕着せでなく、むしろ東洋的とも言える、控え目でソフィスケートされたセクシーさとエレガントさを求めた。このことは日本の市場に長年受け入れられた所以と言えよう。ダルナは徹底的に女性にこだわり続け、一度だけ中性的な少年のマネキンに取り組んだほかは、大人の男性マネキンには全く興味を示さなかった。

ダルナマネキン第1作は今も七彩に保存されている。このマネキンのスリーサイズは、バスト82センチ、ウエスト47センチ、ヒップ85センチである。因みに1956年発表のマネキンのスリーサイズはバスト84.5センチ、ウエスト57.5センチ、ヒップ88センチであった。ウエストにおいては10センチ以上も差異が見られる。マネキンにおける理想の身体の基準が、ダルナマネキンの登場によって大きく変わったことは明らかである。

次回の「マネキン物語」では1991年にパリのダルナに寄せた7つの質問とその返答を初公開したい。興味深い質問に対するダルナの肉声をお楽しみに。(つづく)

  • FRP製ダルナマネキンがデビューした1959年の新作展会場風景

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