七彩マネキン物語

第1話...七彩の創業から1940年代終わりまで

七彩は1946年(昭和21年7月21日)有限会社七彩工芸として京都に誕生しました。社名は初代社長向井良吉の実兄である洋画家の向井潤吉氏によって命名されました。七つの異なった色が織り成すハーモニーと、空に架かる虹の雄大なイメージが社名に与えられました。

七彩の創業には日本のマネキンのパイオニア企業、島津マネキンの創始者島津良蔵が取締役として参画。島津時代、数々の優れたマネキンを世に送り続けた村井次郎もマネキン制作者の一人として創業直後に加わりました。

しかしながら、終戦直後の日本の都市は、戦禍の傷痕が生々しく、人々は着るものも食べるものも、住む家にも事欠く状態でした。しかし創業者たちは、想像を絶するような厳しい状況下でしたが、マネキンづくりに夢を燃やし続けました。やがて自由な心を取り戻した人々は、着ること、装うことに創意を働かせ始めました。古い着物を再利用した「更正服」の流行。洋裁学校の相次ぐ開校。家庭用ミシンの普及といった急速な洋装化の流れの中で、戦後数年間を経過して、マネキンの需要は次第に高まりを見せ始めたのです。当時のマネキンの製法は「ファイバー製」と言われる紙を主素材としていました。この製法は1930年(昭和5年)に島津マネキンが、日本人形の製法をマネキンに応用したのにはじまり、1959年(昭和34年)にパリ在住のマネキン作家ダルナ氏を日本に招聘して制作したFRP製マネキンを発表するまで続きました。

七彩第一作目のマネキンは向井良吉が、第二作目は村井次郎が創作しました。発表は1947年(昭和22年)8月でした。この婦人マネキンの価格は1体9,800円と設定され、京都在住華商、永秦公司に初納品となりました。そして衣服をより美しく着こなすマネキンを作るために、服飾デザイナーの田中千代先生の協力を仰ぎました。田中千代先生には、1948年3月(昭和23年)京都で開催した「第1回七彩マネキン新作発表会」にマネキンのためのコスチュームを制作して頂きました。

さらに翌年の展示会には、衣装デザインに画家も加わるという斬新な企画が賞賛の的となりました。
参加者は宮本三郎、猪熊弦一郎、中原淳一、田村孝之助、花森安治、田中千代、隅田房子、桑沢洋子、マスケート、宇野千代、宮内裕(順不同)の諸先生で、七彩マネキンのイメージに合った美しいコスチュームが創作されたのです。(つづく)

1940年代の七彩のマネキン

  • FW-24

    FW-24 / 1950年(昭和25年) / 向井良吉作

  • FW-7

    FW-7 /1948年(昭和23年) / 村井次郎