七彩マネキン物語

第2話...第1回「七彩マネキン供養祭」始まる。

1949年(昭和24年)7月12日。第1回「七彩マネキン供養祭」が本社(京都)内広場にて開催されました。「マネキン供養祭」は人間と近い関係にあるマネキンを供養することによって、モノに対する感謝と人間関係を深めることが目的でした。当日の参列者は、京阪神の百貨店、問屋、専門店等のお得意様、美術家、マスコミ関係者、協力業者の皆様等300名を超えました。

「マネキン供養祭」の様子について当時常任監査役であった蔦清は次のような記録を残しています。

「本社広場中央の祭場に丸太の井桁を組み上げて、その前に設置された祭壇の中央に向井潤吉先生の筆になるマネキン諸嬢の霊の位牌が、午後の陽射しを直に受けて東方に細長い影を落としていた。当時は食糧不足の折であったが、マネキン供養祭の協力者によって数々の供物が供えられた。当日は司会者蔦清によって式次第が進められたが、開会に当たり取締役社長向井良吉は、紋服の正装に威儀を正して、参列者一同に向かい挨拶を行なった。続いて神官に扮装された向井潤吉先生が、雲水に扮装した門井嘉衛、ザビエル司祭に扮装した本野東一、従業員の扮装する小坊主数名を従えて、祭壇前において、いとも厳粛に祝詞を奏上された。祝詞の奏上が終わって小坊主に扮装した従業員は火葬にするマネキンを肩にして、つぎつぎに井桁のなかにマネキンを入れる。その行事が終わり雲水に扮装した門井嘉衛は、静静と井桁に近づいて読経を唱え井桁に点火した。点火が終わると同時に司会者蔦清は、おもむろに取締役社長向井良吉を先頭に、参列者の焼香順を読みあげた。焼香は珍妙な花火線香であって微苦笑に顔を崩した焼香者はそれでも神妙な面持ちをもって延々と焼香を続けた。荼毘にふされたマネキンの異臭は、夏の空高く昇天するかに見えた。しばらくして供養の式典は厳粛の内に終わったが、式典終了後小休憩があって、供養関係者により準備された粗供養の宴に入ったが、夜宴は和気あいあいの内に夜の更けるのも知らず続けられた」(原文のまま)

  • 第1回「七彩マネキン供養祭」の光景

    1949年:第1回「七彩マネキン供養祭」の光景