七彩マネキン物語

第6話...可動マネキン

19世紀半ばのパリの店頭に最初のマネキンは登場した。それは手足と顔を持たない衣服を掛けて展示するだけの、いわゆるボディであった。これは生命感がなく、人目を引くことは出来ないと、20世紀初頭のパリの商人たちは考えた。そこで「蝋人形館」をウインドーに再現したのである。衣服の着脱や解剖学的知識に苦心しつつも、今日リアルマネキンと言われる人間に近いイメージを持ったマネキンは、20世紀初頭のパリに定着したのである。

一方、日本はどうだったか。マネキンという概念は、大正年間に創業した京都の「島津マネキン」(1925-1944)に端を発するが、古くは江戸末期から明治まで興行として活況を呈した「生き人形」や、その製法を応用した店頭或いは博覧会用の等身大の人形を日本型マネキンの源流とみるべきだろう。これらはパリ同様、何れも「見せるための人形」であった。

さて20世紀の商人たちは、洋の東西を問わず、顧客の目をひき付けるために色々なマネキンを作り手に求めた。その流れは2つに大別される。一つは「より人間に近づけること」今一つは「人間のイメージで様式化すること」であった。今回は、より人間に近づけることを意図した「可動マネキン」を紹介したい。但し「可動」と言っても「手動」だが。

「可動マネキン」は20世紀初頭のパリですでに存在している。七彩が「可動マネキン」に本格的に取り組んだのは1957年当時代表取締役であった、向井良吉氏がフランス帰朝後に制作した「プッペ」である。素材はファイバー(楮製紙)であつた。そして1963年FRP製による男女3種の「可動マネキン」を発表した。さらには1965年にジャン・ピェール・ダルナが「可動抽象マネキン」を制作している。その後1975年・1981年にも「可動マネキン」に取り組んでいる。七彩が発表してきた一連の「可動マネキン」の特徴は、形状が半抽象もしくは抽象であることだ。そして、自由度が人間に少し近づいた分、顔はイメージで様式化されており、生々しさと奇異な印象を排除している。すべて人から与えられた静なる美の結晶がマネキンだが、「可動マネキン」は動き(ポーズ)まで、人によって制御される点で極めて「人形的」な存在だ。

1950年代終わり、向井良吉氏によって作られた「プッペ」を見ると、「操ることの楽しさ」こそマネキンを使ってディスプレイすることの楽しさであり、そうした楽しさが凝縮された空間こそ、人を引きつける場なのだと思えて来る。(つづく)

  • 19世紀のパリに登場した可動マネキン

    19世紀のパリに登場した可動マネキン(1981年発行「MANNEQUINS」より)

  • 「プッペ」マネキン

    向井良吉作:「プッペ」マネキン

  • 紳士可動マネキン

    1963年発表:紳士可動マネキン(婦人も同時発表)

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