七彩マネキン物語

第23話...歴史的資料マネキンを保存

ファッションを華やかに着こなし、煌びやかな空間に嬉々として存在していたマネキンも、時の流れとともに、暗い倉庫の片隅に置かれる時間が長くなり、やがて廃棄される運命にあります。

古いマネキンの中には、新しいもの以上に魅力的なマネキンがあり根強いファンも存在することから、どうしても廃棄することをためらってしまいます。しかし、時間が経過し、注文の頻度が少なくなると、それがどんなにディスプレイ空間に珠玉の彩りを与えたマネキンであっても、ニューフェースたちに場を譲らなければなりません。再び綺麗な服を着たり、化粧されることもなく、傷つき汚れた肢体を横たえて、処理されるその瞬間を待つだけの日々を過ごしている廃棄マネキン達。

「作っては捨て、作っては捨てを繰り返して来たが、過去のものに良さがないわけではない。過去の良さを今に生かすためには、古き良きものを大切にしたい」「歴史的に意味あるマネキン保存の必要性を我々自身が再認識するためにも、お客さんの声を反映させよう」との話し合いの結果、1986年の七彩展会場に、その段階で残されていた1950年代に大ヒットしたファイバー製マネキン6体を展示することにしました。その際、傷んだ個所を当時と同じ素材を使い修復するとともに、ファイバー製マネキンの彩色に関わっていた社員がお色直しをしました。来場者から異口同音に、古き良きマネキンを残していたことに対する賛辞が寄せられました。

1988年の「七彩展」では、時系列的に資料マネキンを展示しました。島津マネキン当時のマネキンで唯一保存されて来た、1925年萩島安二作の少女マネキンを筆頭に、1950年代から1980年代に至る10数体の代表的な七彩マネキンを展覧しました。この時もまた、来場者から資料マネキンの素晴らしさに賞賛の声が寄せられました。

こうしたことが契機となり、1991年社内に「マネキン資料委員会」が発足、古いマネキンを半永久的に保存することになりました。その段階で残されていたマネキンの中で、1970年代以前のものは状態の如何を問わずすべて保存、その数は現在約200体です。もちろん、五体不満足なものも数多く含まれていますが、それはそれとして保存することにしました。また、歴史的資料としての意味合いを重視し、その時代の肌色、メーク、カツラをそのまま残すことを重視しました。

1993年2月、東京青山のスパイラルガーデンで「マネキンの歴史展」を大規模に開催、これらの資料マネキンを一般公開しました。この展覧会の模様は次回にご紹介いたします。(つづく)

  • 1950年代のファイバー製マネキン

    1986年七彩展で来場者から賛辞が寄せられた1950年代のファイバー製マネキン

  • 1960年発表のダルナマネキン

    1960年発表のダルナマネキン

  • 1964年発表のマネキン

    1964年発表のマネキン

CONTACT

お電話でのお問い合わせ
03-6327-77319:00~18:00 土·日·祝を除く
メールでお問い合わせ
お問い合わせフォーム