七彩マネキン物語
第11話...七彩子供マネキンのはなし
七彩子供マネキン第1号
七彩の子供マネキンの歴史を紐解いてみると、第1号は1949年(昭和24年)発表の「FG12-1」にさかのぼります。「F」は素材を表すファイバーのこと。「G」はGIRLの頭文字。「12」は12歳の少女を表しています。因みに少年のマネキン第1号は、同じ年に発表された「FB-12-1」です。「B」がBOYの頭文字であり、12歳の少年であることはお気づきの通りです。そして「FG」・「FB」の時代は1961年頃まで続きます。その後「PGH」・「PBH」に移行「P」は素材がポリエステルになったことを意味しています。
「PGB」の前身「PGBH」登場。
リアルな子供マネキンの前身「PBGH」が登場したのは1965年(昭和40年)のことです。対象年齢は3歳児と5歳児でしたが男女兼用で、カツラを換えれば「少女」と「少年」のどちらにも対応可能でした。「G=ガール」と「B=ボーイ」をくっ付けて「PGB」と言ったのは、案外このあたりに理由がありそうです。その後1966・68年に1歳児のベビーマネキンを「PGB」として発表しています。
加野正浩の「PGB」
「PGB」が男女兼用型マネキンの呼び名から子供マネキン全体の総称になったのは1977年のことです。この年と2年後の1979年に七彩マネキン作家加野正浩は3歳児から15歳まで、計28体の「PGBシリーズ」を発表しました。加野正浩作のこれらの子供マネキンは、発表と同時に、その無邪気で屈託のない可愛さ、愛らしさに賞賛の声が寄せられ、1980年代を代表する子供マネキンとして大活躍したのでした。その後1990年代に入ってすぐ、スカルプチュアヘア化されましたが、リアルタイプの「PGB」は、次第に店頭から姿を消し、発表後20余年が経過した今では、倉庫からもほぼ姿を消してしまったのです。
加野正浩の「PGB」は、すでに存在する可愛い子供を形作ったのでなく、彼のイメージ世界に戯れる子供の可愛さと自由さを自由な気分で創造したのです。それは加野自身の次の一言によって裏付けられます。「最初から決められた年齢の子供を作ろうとしたのではなく、イメージの赴くままに自由に作り、完成後にマネキンの年齢を決定した」と当時を回想し語っています。「果てしない自由が内面世界を支配する子供のイメージを投影させた偶像」それが加野正浩の「PGB」なのです。
子供マネキンの微笑み。
どんなに愛されたマネキンでも、永遠に存在し続けること出来ない、それはマネキンの宿命と言えましょう。しかし、今も残る、1977年に誕生した3歳児のマネキンは、20余年が経過した今も、少年少女のままであり、片時も微笑みを絶やすことはありません。たとえその可愛さが不変のものであっても、マネキンは時代とともに生き、時代の変化とともにその役割りを終えるのです。時は流れ、「PGB」の後にデビューした子供マネキンたちは、今日も人間の子供が着る服を着せられて、何処かの売場で、人々に微笑みを投げかけているのです。(つづく)
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FG12-1
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FB12-1
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1965年発表:PGBH